本日はWS日。本日のグループは、ひとつのグループでは繍金なんとかを、二つ目のグループでは草原情歌と荒城の月を研究中。
 聞きかじりを話したがる軽ーい私はさっそく津軽三味線の「手」の話をひとくさり。話していると、だんだん、例の「悔しい気持ち」ってのが消えてきた。そして、なんだか自分の新しい「手」を考えたくてしょうがなくなってきた。
 メンバーみんなが自分の「手」を考るようになっていくだろうな。もし、すごい素敵な「手」に出会ったら、やきもち焼くんだろうなあ。でも、そしたらまた自分の新しい「手」を考えればいい。そのやきもちは、真似されて悔しいってのより、ずっと楽しいやきもちだ。
 おそらく、スクールや教室などで習えるのは、「手」を作り出す前の段階までだろう。そこから先は自分しだい。もちろん、音程やリズムや運弓などの基礎に忠実に、原譜面を再現できるのは大事だ。が、音楽としては、そこではじめてゼロ地点に立っただけ。そこから積み上げて作る世界は自分で責任を取らなきゃいけないからしんどいけど、すごく楽しい。


 ところで、ブームとしての二胡ってそろそろ収束して、おちつくとこに落ち着き始めたんでしょうか。なーんとなく、そういう気がしてならない昨今。
 でもなあ。。。。。たぶんあたしは守りには入らないんでしょうな。
 自分の中のマイナーな気分、ちょっとダークな悩み、つまり模倣されたらむかつくとか、ってことを「そういうことって普通にあることなんだ!」と認識した瞬間、自分のやりたいことは、守り姿勢じゃないってことがわかってきた。たとえばそれは、いつも、いつまでも、風景を作り変えていくこと。。。つまり、旅することかな。執着でなく、いつも新しい恋心を!!