今、爆忙なので、早朝活動前の二時間くらいしか練習できない。危機感ゆえに、かなり集中してやってんだけど、練習してもしても入らないフレーズがある。こういう時間って、ムダになってんのかしらねえ。............


 K珈琲ライブのチラシでは、マダムに沢山お手数をかけさせてしまった。出来上がったチラシは、和風レトロと妖しい中国風が混じったステキなもの。千代紙が効果的に使用されている。
 それがあんまりステキだったので近所の文具店で見かけた千代紙セットをつい衝動買い。ところが、私にはマダムのような才能がないので、ただ「きれいだー」と眺めてるだけ。なにか作ればいいのかなあ、と思って、はさみを取り出してみたが、なにも湧かない。でも、なんか創りたくて、とりあえず幼稚な花の形を切り抜いてみた。花はともかく、切れっ端はついに捨てた。
 そこではたと気づいた。

 「創るってのは、ゴミがでることなんだねえ」
 そんな当たり前のことを言うと、マダム姉妹はにやにや。姉は絵描き、妹は写真師の姉妹である。そんなことは、言わずもがなの事実である。マダムも、今回のチラシ作りでは、かなりな数の下書きを創り、何枚もの千代紙を切り刻んでゴミにした、と語っていた。
 しかし、私も子供の頃は、下手なりにちょこちょこ創るのが好きだったはずだ。そして、気づいていなかったが、その都度ゴミを出していたはずだ。
 そういうモノでなくても、料理創ればゴミが出る。畑創ったってゴミが出る。服創っても、雑貨創っても、大工仕事しても、映画創っても。二胡作りの現場なんか木っ端のゴミだらけだろう。
 ゴミのない創造の現場なんてあり得ない。

 考えてみれば、実は自分もゴミは出している。もう、モノを創らないから、目に見えるゴミは出ないが、一つ文章を書く度に、何万語ゴミにしているだろう。二胡で一曲モノにするための練習で、何千音、何万音ゴミにしてるだろう。
 だけど、ゴミ出さないと、良いものってできないのかも。一発で名文書けるのが果たして天才? ギターのTくんは毎日14時間ギター弾きっぱなしで曲を創ってるという。でも、人前に披露するライブレパートリーはそんなに多くない。今までに何百曲捨てたんだろう?彼は?
 良いもの創るひとほど、ゴミいっぱい出してる。あたしなんか、最近ゴミが少なすぎて恥ずかしいくらいだ。
 効率よく創るのが良いことだ、なんてのは、まゆつばである。


 だけど、今時はちょっと違うゴミがある。
 今日、とある食玩を衝動買いしてしまい、自宅で箱を開けながら、その過剰包装にうんざりしてしまった。入っていたミニチュアを見てふと、こういうものを粘土で自作している知人を思い出す。その創る過程でやっぱりゴミが出てる。創るから出るゴミ。でも今日自分は、自分でなにも創ってなくて、人の創ったものを消費するだけなのに、箱やら小袋やらゴミを沢山出してしまった。カップ麺の小袋、小分けドレッシングなんかにも、同じことを思う。理由はないけど、なぜかそういうゴミがイヤなんである。創ってないのに、創ってるかのように幻想させる現代のゴミ............。
 沢山ゴミ出したのに、欲しいミニチュアは入ってなかった.........。この時点で捨てるひとがいれば、ここにも、ムダなゴミが出るんだろうなあ。私は貧乏性なので捨てませんのですが。

 こんど「創造的ゴミ供養」でもやるかな。