恋上二胡/二胡と遊ぼう

札幌の二胡な人 荒木田 真穂の 二胡もあるブログです。    

本職ことだまつかい(書き屋)な
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 まえにカエルヤマダムに向かって「喰わない奴は負ける!」と豪語していたらしい。最近、4月病で食欲減衰していた私に、さっそくマダムからのカツが入った。

 忙しいと、つい「喰う」を省略してしまいがちなのだが、確かに、気分がウツウツとしてる時って「喰ってない」のであった。今回の4月病は、傍目にみてもなんかヘンだったらしく、食べ物差し入れや食事のお誘いがいつもよりとっても多かった。で、なるほど、食べると、俄然楽天的になって、「いんじゃない?」という大きな気になってしまって、なんだか万事上手くいく。食えない環境とは即ち私にとって最悪な環境なのかもしれぬ。でもなあ、ついつい忙しくなると「×食抜き」やっちゃうからなあ。サプリですます、とか、ホントは最悪だよね。

 仕事旅が多いので、旅先で「×食抜き」になることがままあるが、そんな時に、ありえないような大偶然が起こったことがあった。初の台湾出張でエバー航空に乗ったところ、隣席に乗り合わせた貫禄ある熟年男性と話が弾んでしまい(だって、日本語超上手いんだもん)、晩飯をがっつりご馳走になってしまったことがあった。しかも、円山飯店の超有名点心レストランだった.......普通だと、旅だからいつもよりガード堅いんだけど、その日はなんだかそんな流れになっちゃって。あまり下心を感じなかったのと、ほら、やっぱり私渋め脇役俳優好きだからさ(その人は普通に会社社長でしたが)。それで初日から大らかな気持ちになっちゃって、翌日お礼の電話を入れようと思ったら、教わった番号が間違っていたのか、つながらなかった。会社の名前も聞いたんだけど、メモがどこへ行ってしまったか.......
 じつは、たまーにこういうことがある。公園で読書してたら、通りすがりのおばあちゃんにお菓子を貰ったり、地下街ですっぽかされてぼさっとしてたら、これも通りすがりのお爺ちゃんが茶店でケーキおごってくれたり。
 こういうことが度重なると、「もしや私は乞食体質では?」と思う。
 まえに新聞社で働いていたときに、上司が(多少自虐的な人だったとみえて)「俺たちのやってることは乞食だよ」と言っていた。と、いうのは、広告も含めて、メディアというものは衣食住足りて、なおその上になにか知りたいとかよりよい生活をしたいとか思っている人が金をはらって買うものだ、という彼独自の哲学から来たコトバであった。
 
 プライド持って仕事やってる人に怒られそうだけど、私は自分の仕事はライターにせよ音楽関係にせよ映画にせよ、ある意味乞食だなあと思う。衣食足りてる人が払ってくださるお金で喰わせてもらってる部分は確かにあると思う。でも、卑下したくはないのさ。だって、だからこそ「ああ、世の中の人が、いつも衣食足りて、文学や音楽を求めるような、余裕のある世界が実現するといいなあ」と祈ることができるし、もし、何かが足りない世の中なら、「もっといい世の中なら、こんなに沢山楽しいことがあるよ!」と歌えるからである。
 このへんは、エルンスト・ブロッホの哲学にも通じてなくはないと思うんだけど、どうでしょう?
 ハラが減ったら落ち込んで、喰ったら希望が湧いてくる、つまり、私は単純に「希望病」患者なだけなんだけど。
 インディーズ芝居の曲を作ってたころ書いた主題曲歌詞にこんなんがあったなあ.......
飯を食え 飯を食え 
  腹一杯 飯を食え
  そしたら船に帆を揚げろ...........
 これが一番。設定上、45番まであるんだけど。「隠遁生活を送るもと海賊」の芝居でしたっけ。




 



 今日の二胡やは、後半WS仲間でにぎわった。
 そろそろ告知を出す、賈鵬芳先生の出張レッスンの見学者募集についての打ち合わせ、など、連休明けに早くも取り組まなければならないいくつかの課題についてミーティング。
 おおかた終了後、なんとなく映像鑑賞に移行。本日は、劉長福大師のビデオやVCDを集中して観た。
 .............やっぱり、良いなあ。良い、というか、安心感がある。ひろい。大きい。そして、深い。そして何より温かい。音色だけでなく、語り口の問題だ。心をラクにして、身体のチカラを抜いて、耳から全身をゆだねてしまえる二胡なんである。年輪なのか、これまでに越えてきた個人史が作りだしたものなのか.......
 達人、名人、天才、と二胡演奏家にも様々な人がいる。劉大師はもちろん、達人であり、名人であり、天才であるけれども、そのどれもの称号なんてどうでも良くなってしまうくらい、心地よく、心優しく、心豊かな「音楽」なんであった。こんな人は、正直なとこ、劉大師しか知らない。
 ここんとこずっと疲労がとれなかった身には、ほんとうにクスリになるひとときだった。帰宅後、あらためて大師のCDを聞き返してしまった。
 うーん、心の芯から温まる。聴く岩盤浴である。





 最近の日中関係について、友達と話すこともある。どっちがしたたかだとか、どっちが頑固すぎるとか、いろんな意見がある。これらの話から、一連の事件が鏡になりはじめているんじゃないかという予感が、私にはある。「自分が生まれた国ってどうよ??」ということを、政治家だけじゃなく、一般人もやっと考え始めるんじゃないかという予感である。
 
 実は、今、日本は、海外に派兵している国の一つなんだ。そこがいかに「日本は平和主義で、靖国参拝に特別な意味がない」と主張しても、説得力ないこと夥しい。
 一方、中国で、罪のない日本人がテロに遭ってても警察が放置していることも事実で、そこが「友好・合作・協力」をスローガンに掲げてても、これも説得力ないこと夥しい。

 話しててイヤになるのは、「もしやどっちの国もコドモ?」と思えてくることだった。
 しかし、突然思ったのさ。
 「そうだ、コドモは、これからオトナになることができる!」
 これが、狡い大人同士の争いだったら、根は深いし、解決は難しいだろう。
 しかし、政治家連はともかく、一般人はまだ、知識的にも、思想的にもコドモである。そいで、人数は圧倒的にそっちの方が多いんだから、希望を失うのはまだ早い。

 コドモが明日すぐオトナにならないように、時間は沢山かかるだろうけれど........

                   ☆


 昨日から、とある専門学校で、脚本の講義を受け持つことになった。
 もうふたまわり近く違う子たちとどうつきあえるかなあ、と、今もまだ心配。一番の心配は、彼らの若さに私がシットするんじゃないかということだった。でも、不思議と、それはまだない。自分より目下だから安心したというのではない。彼らの素直なひたむきさが、なんだかすごく嬉しかったのだった。
 この子たち、これからオトナになるんだなあ!すっごいいいじゃん。
 私も、今よりもっともっとオトナになるぞー。
 たぶん、冷めてる子や、私が気に入らない子もいるだろう。でも、しょうがないや。いいんだ。そんなの没関係。愛するよ。私は。とりあえず、それが私に今振られた役割だからね。
 しょうもない世界でも、生まれちゃって、どんなにしんどい目に遭っても、それでも生きていきたい以上、愛した方がいいに決まってる。



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 「でも、まほさん意外に寂しがり屋だからなあ」と、カエルヤマダム。
 やや心配げに。
 ううむ。さすが我が茶友、するどいところを突いてくる。
 と、話を始めたモノの、全然落ちを考えずに書き始めてしまった!!(笑) これも4月ボケのせいだろうか............。 

 そういえば、作家の岩井志麻子女史ってご存じ? 書いてる小説もエッセイもご本人の見た目も、どっちかというと不愉快なんだけど、なんだか気になる存在。雑誌などで文章が目に触れるたびに「うーむ」と思ってしまう。感動もしないし、過度の嫌悪感も感じないけど、なんか靴に入った石のように気になるのである。彼女の文には決着点がない。オチのついてない話をまんま書いちゃってる感じだ。そこんとこが、素人っぽくて、愉快ならざれど気になり続けるのかもしれない。書いてることは既存の倫理観を壊すような男女間の関係についてで、それが彼女の売り。けど、全部ほんとだとしたら、しんどい人生だろうなあ..............。そんでもって、彼女は喋り過ぎだ。
 自分のことを喋りすぎる人、特に文章家などで、不特定多数の人に対して喋りすぎる人って、他人様のココロは動かせても自分自身は幸せになれないことが多いんだよなあ。でも、寂しがりは往々にして、そうやって喋りすぎて自分から土ツボにはまりに行くモノだ。岩井女史はまさにそのクチなのか。

 おお、オチがついたじゃないか。 








 先日練習した帰国者の二胡愛好家の方と、とある催しで演奏。
 やっぱり「ネイティブだなあ」と感じる演奏で、面白かった。整えられた演奏にはない無骨な温かさがいい感じ。
 おそらく、私は今後逆立ちしてもそういう風には弾けないけど、それはそれでしょうがない。目指すものが最初から違うし、出自も違うし、また、現在の二胡との関わり方(二胡への食い下がり方ともいう??)も違うのだから。
 でも、単純に「聴く人」になっちゃって、「わー、いいなあ、うらやましいなあ」って素直に思えた、嬉しい一夜であった。
 





 

 今、ワークショップでは、C調曲を多めにとりあげている。
 まず、按指法の分析から始めて、とりあえず慣れるために、超有名70年代日本曲をやってみている。知ってる曲だから、あまり慣れてなくてもできるし、他調との違いや、同曲異調の記譜についても考察できる。
 この曲は、ある学校の卒業式にグロバがお邪魔したとき、生徒たちが歌うのを聴いて「そーだ、ワークショップで取り上げよう」と思ったのであった。この年代の曲は、実はあまり二胡教本や曲集に掲載されていないが、二胡に合わないわけでは決してなくて、今活躍中の中国人二胡老師の方々の来日が集中した年代を考えると、単に「知らない」というだけだと思う。過去のヒット曲で、現在はラジオのリクエスト番組くらいでしか聴けないこれらの曲を、リアルタイムで聴いていなければ、風格も再現しようがないからではないだろうか。
 それで優越感を感じているわけではなくて「日本における二胡」を考察したときに「もっと沢山良い曲があるよ」と言いたいだけだ。70年代ヒットだけでなく、80年代ニューウエーブや、90年代バンドブームの時の曲にだって、二胡に合う名曲がある。でも、誰でも弾けばいいというものでなく、その曲に惚れ込んで、オリジナルと自己の風格とを合成して弾きこなせる縁者がまず弾き、「そうだー、良い曲だったんだねー」と聴衆や他の二胡好きたちに認識させることが必要だと思う。
 曲によっては、演奏者を選ぶものもあるから。
 余談さておき、この曲のあとは、次は「綉金なにがし」と「瑤族舞曲」に繋がる。
 私事になるが、私の二胡歴には何度かのターニングポイントがあって、「瑤族舞曲」はそのうちの一つにまつわる、とても思い出深い曲である。それは、現在はグロバでもお世話になっている打弦師Kさんたちのバンドと初共演したときの一曲だからだ。この中国曲を、有名なアイリッシュ・バンドがかつて北京を訪問し、中央民族楽団の若い人々と一緒に演奏したというエピソードをはじめ、中国音楽、民族音楽についていろいろ知ったり考えたりするようになったはじめだ。
 
 

 

 ICCの屋上に出て背伸びしたら、ちょうど4年前のことを思い出した。
 4年って、けっこう長いよね。ちゃんとした人なら、一仕事終えて結果出せてる。自分はどうなんだろう。。。
 悩みだすと詮方ない後悔とか愚痴とかになってしまいそうだから、あまりくよくよ考えない。でも、怠惰と自尊心って大きな敵ですね。最近ようやくそういうのから解放されてきたんだけど。
 そら、結構広くて、まだまだほかにいけるところがあるなあと思った。

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